平成24年度業界振興論文・優秀賞

楽しい理容業「FUN BARBER’S PROFESSION」

福司浩樹(北海道)

 

 私は四三歳の男性理容師でサロンを経営している。
 私に代替わりするまで三一年間両親は夫婦二人で理容業を営んできた。私が物心ついたときはすでに理容業の中に生活があった。両親は姉と私を育てるため、朝早くから、そして夜遅くまでお客様を優先で一所懸命だった。大晦日には店で除夜の鐘を聞くこともあった。高度経済成長期だったとはいえ頭が下がる思いだ。時にはお客様へのサービスについて夫婦で衝突することも珍しくはなかった。
 そんな両親を見て育った私だが、正直理容業が好きにはなれなかった。
 反対に姉は店が忙しい時によく手伝いをしていた。その姉に受験が近づき、あるときからその役割が私に回ってきた。パーマのヘルプだ。ペーパーは渡せない。ロッドは間違える。ゴムはどこかに飛んで行き、やる気のない姿を見て父は私に退場命令! 今思えばアシスタントなら「明日から来なくていい!」と即刻言われた場面だったと思う。
 父は私を店の後継ぎにしたかった。高校進学を前に「好きな高校に行っていいから理容師になりなさい。」と言われた。
 その頃の私は「将来の夢はプロ野球選手」と文集に書いたほど小学校から続けていた野球が大好きだったが、実際の実力は草野球程度で、他になりたい職業も思い浮かばず、両親の思惑どおりに二つ返事で答えていた。
 高校は私が入学する数年前に甲子園出場を果たした地元の工業高校に進んだ。
 希望に満ちて野球部に入ったものの、初日から挨拶と返事の繰り返し。部活外でも校舎で先輩に会うと九十度に最敬礼をしなければ、あとで体罰が待っている(今となっては大きな声では言えないのだが・・・)。
 だが、野球部でそのとき叩き込まれた学んだその挨拶と返事、肯きが今では私の理念になっている。
 甲子園出場を夢にまで見た高校球児の願いは叶うことなく高校生活が終わり、父の希望どおり東京都にある全理連中央講師のサロンにお世話になることが決まり、理容師の卵としてスタートラインに立つことになった。
 何となく理容業界に足を踏み入れた自分だが、初日から両親に大切に育ててもらったありがたみを思い知らされる。今まで自分の部屋さえ掃除したこともなく、洗濯も自分のユニフォームすら洗ったことがない。履物を揃えること、風呂・トイレ掃除、営業の準備、食事の後片付けなど、全て先輩方に一から十まで教えていただいた。この時初めて両親の愛情の深さに感謝し、密かに枕を濡らしたことを今でも鮮明に覚えている。また、それを機会に自分の技術や心が成長していく楽しさと、理容業の素晴らしさや奥の深さにのめりこんでいった。
 何ひとつ出来ず即戦力にならかった私であったが、挨拶と返事と肯きだけは先輩に褒められた。学生時代、野球でお世話になった監督、コーチ、先輩の顔が頭をよぎり「皆様のお陰です。ありがとうございます。」と胸の中で呟いた。前段でも申し上げたが、今でも「挨拶、笑顔、返事、肯き、感謝、謙虚、気づき」はスタッフ共々ミーティングや日常で欠かすことのできない我社の社訓である。
 私の修行生活も6年9ヶ月が経ち、まだまだ一人前とはいえなかったが、多くの方々との出会いに支えられて、技術を学び、人の痛みが少しわかる人間に成長したところで帰郷することになった。
 退社の前にお祝いとして、師匠御夫妻のご好意により一週間のヨーロッパ旅行に行かせていただいた。イギリス・ロンドンとフランス・パリである。語学が全く出来ない私であったが、見るもの触るものが楽しくてしかたがなく、今思うとゾッとする話だが、ガイドに「治安が悪いので近寄らないように。」と言われたところまで勢いだけで足を踏み入れた。
 フランスでは師匠の大親友であるミッシェル・オルテガ氏のパリ市内のサロンで、一日体験入店をさせていただき仕事を学んだ。
 サロン内の雰囲気やお客様とのコミュニケーションを見ていると、とにかくフランス人は自己主張が強いようでスタイルやカラーリングの要望を「ガンガン」アピールしてくる。技術者も負けておらず、どっちがお客様かわからない。日本ではあまり見ない光景に唖然とした。
 オルテガ氏がお客様に「日本の親友のスタッフだ。」と私を紹介してくださるのだが、シドロモドロの挨拶で「ボンジュール」と言うのが精一杯。またとない機会ではあったが、先ほどのお客様とのやり取りを見てしまうと「お願いだから仕事をまわさないで!」と思ってしまったくらいだ。
 女性スタッフは緊張で顔色の優れない私にサバ(元気?)と声をかけてくれたが、メルシー(ありがとう)と返すだけ、覚えている単語も十個あるかないかで、語学が出来ればもっと得るものがたくさんあったのになぁと悶々とした思いで、シャルル・ド・ゴール空港から成田空港までの飛行機の中、この旅と東京での6年9ヶ月の生活を振り返っていた。
 帰国後、送別会をしていただいた後に帰郷、様々な思いを胸にいよいよ両親と共に新たな第一歩が始まった。
 私が帰郷後、父はすぐに理容組合の会員名義を私に変更し、経営の全部を任せてくれた。私を信じてくれる父の気持ちとその器の大きさにびっくりしたが、同時に「理容業を継がせていただきありがとうございます。」と感謝の気持ちで胸の中が熱くなり、心から理容師になって幸せだと感じることが出来た一生涯忘れられない一日となった。
 その年に新店舗をオープンし、両親と私の三人でスタートした。その後スタッフも加わったが、辞める者も何人かいた。そのたびに辞めたスタッフの粗探しをして、自分に非があるとは考えもしなかった。
 ある時、理容師仲間の会話の中で「我々理容業は人育て産業である。」という話が出て、私は「人育て産業ってなんだろう?」と考え込んでしまった。
 今までは、私が良いスタイルを提供してさえいればお客様は来ていただける。仕事の部分では技術と業務システムを教えればスタッフはついてくるとばかり思い込んでいた。はたして私は人を育てようとしていただろうか。経営サイドの都合ばかりを押し付け、スタッフのモチベーションや未来のビジョンなど全く頭になかった。
 スタッフが育たないのは私の力量のなさが原因で彼らの責任ではない。スタッフは私の映し鏡であり、常識知らず・思いやりがない・心遣いが足りない・判断力がない等、すべて今まで叱りつけてきたことは本当は自分の事なのかもしれない。私は彼らを信頼していなかった。親が子を信じなくて、子は誰を信頼すればよいのだろう…。
 私はサロンを変えていこうと決心し、業界向け経営セミナー、講演会、コンサルティングなど積極的に参加を心がけた。自分自身とスタッフに明るい未来のビジョンを持って、生きがいとやりがいのある理容業を目指していかなければならないとその度に思いを新たにし、その挑戦は今も続いている。
 私が受けたセミナーでは、「夢・目的・目標」がキーワードとして必ず出てくる。
 私も夢がないわけではない。修行時代、師匠のサロンはユニセックスサロンで老若男女お客様が来店されていた。私も家族で来店されたお客様が笑顔でお帰りいただけるような師匠のようなサロン作りを出来るようにと思い続けている。
 しかし、全てのお客様を私ひとりが手を掛けられるわけではない。ということは、スタッフにもお客様に笑顔でお帰りいただきたいとの思いをもってもらわなければ、私の夢はただの「絵に描いた餅」にしかすぎないのだ。
 そのために現在はスタッフ全員で、年度目標(叶う夢)、月計画(何を行なう)、目的(何のために)、月目標(どのくらい)毎日実施する行動(モチベーション)、期日までに実施する行動(達成感)に分けて設定し実行、ミーティングで検証している。
 最初から出来もしない難しいことにはチャレンジせず、達成出来る目標から実行する。人は目標を達成出来ると嬉しくなるものだ。一つ達成出来たら、次の目標をそれよりも少しだけ高く設定して、また達成しようと努力する。この繰り返しにより、自分を向上させる。
 同時に、お客様に褒めていただくためにテーマを決める。例えば「返事がいいね」と言っていただく。「トイレがキレイだね」や「挨拶が元気良くていいね」でもよい。お客様から褒めていただくのは本当に嬉しいものである。スタッフはそれを理解し、褒めていただくために自然と掃除もことば遣いも一生懸命やるようになった。
 スタッフのモチベーションが上ると自然に笑顔が生まれ、お客様への応対の仕方に変化が生じた。技術が多少稚拙でも熱意が伝わるとお客様はそのスタッフのファンになってくれる。「今度、私の髪を練習に使っていいよ。」なんて言ってくださる方もいた。ありがたい話である。
 我がサロンでは、スタッフ全員の写真とプロフィールを待合室に貼っている。お客様にスタッフの人となりを知っていただき、コミュニケーションを深めようとの狙いである。趣味はなにか?休みは何をしているの?お客様に共感してもらい、話が弾む環境と雰囲気を作り出すのだ。
 サロンで働く人がどういう人間なのかが分かると、お客様が安心感を持つことが出来る。そしてスタッフとお客様が共感し合うと、そこには信頼関係が生まれる。
 また店内POPに関しても工夫をこらす。メーカーやディーラーからいただく施術メニューや店販品のPOPはなるべく貼らず、自分達の手作りの物を使用する。例えば「○○市・H様・四〇代★体験してみてとてもスッキリしました。気持ちイイー!」や「スタッフ○○のオススメ!使い出したらやめられないWAX!」など似顔絵や写真、ときには仮装をした画像などを付け加えると、お客様の笑いを誘い、和やかな雰囲気を作り出すとともに印象づけることも出来る。
 店販品などを売りつけることは決してしない。それはただの押し付けになってしまうからだ。お客様が購入する、しないは気にせず気軽にスタイリングの再現性などについてアドバイスとして提案する。そうすると不思議と「これください。」とお客様の方から声がかかる。
 お客様それぞれにオンリーワンの気持ちで対応し、「日常の貴方のスタイルをカッコよくします」「困っている悩みを解決します」といった思いを誠心誠意伝えると、信頼をいただけると私は信じている。だから遠い将来、鋏を置くまでは、お客様にとって良きアドバイザーとなり、最善をつくした技術・流行・情報・おもてなしが提供できるようにしたいとの心構えである。
 理容師の仕事をこなしていく上で、顧客の信頼を得るということが一番の幸せであり、また自信にもつながっていくのだと思う。
 「信頼と自信」この二つが人(スタッフ)を成長させる最大の秘訣ともいえるだろう。
 現代、日本の人口分布はご承知のように理想とされるピラミッド形にはなっていない。当然、若い世代が減少している。理容師の数もその例外ではない。ただでさえ少ない若者の中から、理容師を目指してくれる貴重な卵をどう育てていくのか、私達理容業を経む者の役割は決して小さくはないであろう。
 私に姉がいることは先に話したが、大変な仕事であるがゆえに姉は当初理容師には成りたがらなかった。
 しかし、私が実家の店で働くようになり、お客様への応対を見た姉は「あんたはいつも楽しく仕事をしているね。」と私を褒めてくれ、理容業の良さにも気づいてくれた。そして今年の春から理容師資格取得のため通信教育に挑戦している。
 「楽しそうに仕事をしている!」これからの理容業に必要なことはまさに、これに尽きるのではないかと考える。
 相撲界を例にすると、年々、日本人力士がTVの画面から少なくなっていく。
 国技を批判するつもりはないが、過酷な稽古、「かわいがり」という名のしごき、ビジュアル、不祥事などばかりが取り上げられる。
 子供の目線から見ると、残念ながら「カッコいい」「楽しそう」とは感じがたいだろう。
 親御さんにしてみても、息子を相撲界に入門させたいとは思わないのではないか。
 やはり若者はビジュアルや楽しさに憧れる。我々理容業に求められる絶対に必要不可欠な要素だと思う。お客様だけでなく、「あそこのサロンはお洒落でカッコいい人がいて、スタッフの仲が良く楽しそうだから働いてみたいなぁ~!」などと思わせなければ、この道に飛び込んでくる若者など増えるわけがない。もちろん、楽しいだけでは人は育たないが、まず足を踏み入れてもらわなければ、スタイルを作る楽しさ、お客様とのコミュニケーション、最新の情報提供、お客様の笑顔、料金をいただくありがたさなど、理容業の良さが伝わらない。今後、理容業界によりたくさんの若者が入ってくれることを夢見ている。
 私にはこの五月に長女が生まれた。我が子は本当にかわいい。将来この娘が理容師を目指してくれるかどうかはわからないが、両親から受け継いだ私の生き様を見ていてほしい。私が仕事をする背中を見て、姉と同じように「お父さんはいつも楽しそうに仕事をしているね」と言ってくれるのを秘かに心待ちにしたいと思う。
 結びとして
・挨拶、笑顔、返事、肯き、正直、感謝、謙虚、気づき、を常に感じながら理容を楽しむこと
・固定観念にとらわれず、人間力を高めていくこと
・スタッフを信じ、夢、計画、目標を定めて未来のビジョンを持つこと
・褒めてもらえるテーマを持つこと
・「信頼と自信」は理容師の幸せ
・サロンの窓から見える理容師が年代合った魅力あるビジュアルであること
 最後に私が思うこと
楽しい理容業「fun barber‘s profession」これが私の志

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