令和5年度業界振興論文・優秀賞

 

変える勇気と変わらない信念

岸 恵(岡山県組合)


 

【はじめに】
ウィズコロナ ~歩み始める年に~

 令和2年、世界中で目に見えない未知なるウイルスとの戦いが始まった。中国国内での初感染から、わずか数ヶ月ほどの間に日本でも瞬く間に感染が拡大し、イベントや伝統行事など多くの経済的・社会的活動が中止され、外出自粛を余儀なくされた。誰しもが経験したことのない、新型コロナウイルス感染症の恐ろしさに強い不安と恐怖を覚えた。
 しかし、止められない経済活動を持続する為に在宅ワークを推進する企業や、時短営業する小売業、テイクアウトで活路を見出す飲食店など、働き方や業務形態が大きく変化した年でもあった。
 そんな中、私たち理容業は何から対策をしていけば良いのか苦慮する店舗が多かったのではないでしょうか。対面で接客し、お客様の髪や肌に触れる仕事なので、在宅ワークやテイクアウトも出来ない。当店は手指の消毒や店内の換気など感染予防の基本を徹底しながら、感染の終息を待ち続けた。
 しかし、何度も押し寄せる感染拡大の影響を受け、売り上げや客数が徐々に減少していく中、両親の代から続く自店は創業55周年を迎えた。
 知識・技術・話術はもちろん、一番大切なのはお客様との繋がり、信頼を得ることだと両親は言う。それこそが55年も続けてきた両親のお店に対する信念である。頼りにしていた父は目の難病を患い70年の理容師人生に幕をおろした。
 私は、この信念を受け継ぎ持続すること、コロナ禍で困難な今、変化を恐れず乗り越えていく覚悟を決めた。

 

【本論】

Ⅰ 女性客の集客・新メニューの展開

 就職氷河期の大学時代、したい事もすべき事もわからず、どこかに就職するよりは両親が理容業を営んでいたことから、私も「手に職」をと思い理美容専門学校へ進んだ。
 どこか甘えていた大学生活とは違い、専門学校では自分の技術の無さ、知識の足りなさを痛感した。それを少しでも補う為、学校帰りには父の知人の先生のお店で接客や技術の基礎を学んだ。そこで学ぶうちに、理容師免許を取得すれば何とかなるだろうという自分の安易な考えは打ち消された。毎日同じ作業の繰り返しで、なかなか前に進めないもどかしさや技術の難しさに落胆さえ感じた。手に職をつける事、家業を継ぎ経営者になる事など、私にはまだ遠い道のりだった。当時、そのお店で女性客の来店は近所の年配の女性が月に1度お顔剃りをされる程度だった。また、結婚式を控えた方は他のお客様の目が気にならないよう、閉店後にお顔・背中のシェービングをしていた。まだ歴の浅い私でもシェービングの良さは身をもって理解していたが伝える方法が分からなかった。当然ながら、お顔剃りが理容室で理容師免許を有する者しかできない技術であることの認知度はまだまだ低かった。何より、男性客の中で女性客がシェービングをすることに抵抗を感じたことだろう。まずは女性が来店しやすいお店の環境を整える必要があるのではないか。私はお顔剃りの良さと必要性をもっと多くの方に知ってほしいと強く思うようになった。その後、業界のバックアップもあり徐々にメディア・雑誌にレディースシェービングが取り上げ始めた。「顔剃りはしてみたいが理容室に入りづらい」という女性の要望は多数あり、潜在的な需要があると確信した。
 帰郷して間もなく、女性お顔剃り専門店がしたいと両親に話したが、意にそぐわず大反対された。当時40数年続くお店の9割は父と同世代の50代から80代の男性客であり、女性客は1割にも満たない。まして、お顔剃りの為だけに新規女性客が来店するはずがない。そんな両親の考えもわかるが、私は諦めなかった。同県にはまだそのような店がなかった為、ディーラーの方に相談して他県の専門店に勉強に行った。今の自店のスタイルを大きく変えることなく、女性が安心して来店できるよう「女性お顔そり専門空間」として完全個室を設けることで両親の承諾を得た。
 幸い自店には3名の女性理容師が在籍しており、女性による技術と癒しの時間を提供できた。当初は月に10人程度であったがお顔剃りの必要性、良さを地道に伝え続け、今では毎月100人を超えるお顔剃りファンの女性客に来店して頂いている。私自身も更なる知識と技術向上の為、エステティシャンの資格を取得し、柱となるお顔剃りはもちろん、エステメニューを充実させ女性の「美しくありたい」というニーズに応えられるよう、季節限定のメニューの提案やバレエやダンスをする若年層にも、SNSを使い、幅広くアプローチを続けた。縁があり外部講師をさせていただいたおかげでスキルアップはもちろん、苦手分野の商品の説明方法、的確なアドバイスができるようになり、沢山の引き出しかできたこともまたひとつ私の財産となった。
 「美」を通して人との繋がりを楽しみながら、お客様の人生の節目に携わっていけることが幸せであった。こうして当初の目標に向けて安心・美・癒しをトータルに提供できる空間を作っていった。
 現在では近隣にも女性シェービングの看板を見かけるようになり、女性シェービングの店舗が増えるほど、お顔剃りは理容室で理容師資格を有する者が提供できる技術だと多くの方に認識してもらえる。今後もお顔剃りのすばらしさを発信し続けていきたい。

 

Ⅱ コロナ禍でのステイホーム美容

 順調に定着していた女性客であったが、新型コロナウイルス感染の影響は避けては通れない問題だった。緊急事態宣言下ではキャンセルが相次ぎ、感染の不安からカットのみというお客様が増え、お店での滞在時間を短くしようとする傾向になった。当然のこと売上も来店客数も減少し、ステイホームが根付いた。なかでも大打撃を受けた飲食業界は売上低迷を打破しようとテイクアウト専門店が増え、業務転換をしていった。
 当店も売上低迷の不安と焦りから脱却したいと模索していたが、お客様へ直接触れる近距離での施術の為、お客様に対し目に見える感染対策を徹底することしか出来なかった。
 まず、キャッシュレス決済や密にならないよう予約制の導入を取り入れ、お客様に安心してご来店いただけるよう取り組んだ。それは自身とスタッフの為でもあった。しかし、感染状況の波や終息には予測が立たない為、非対面でありながら何とか売り上げをカバーできることはないか。そこで飲食業のテイクアウトにヒントを得て、自宅でも手軽に出来るエステ機器のレンタルを始めた。お客様の需要やお肌の悩みは各々違うので、当店で人気のエステメニューに近い効果の出る機器をテイクアウト(レンタル)として販売した。
 店内やホームページ・SNSで新メニューを告知し、利用してくれたお客様にはSNSを使用し非対面で対応することが出来、コロナ禍における売上低迷の画期的な打開策だと考えていたが、長くは続かなかった。
 レンタルという手軽にエステ機器を試せることから何人かのお客様に利用されたが、成功というには程遠かった。ただ、実際に利用したお客様から「ここでしてもらった方が一番効果が出て気持ち良いから、次はお店でお願いしようと思う」と言われ、一番大切な事を忘れていた自分に気付いた。
 接客業を続ける上での喜びと醍醐味が詰まった「人と人」のコミュニケーションが欠けていたのである。人との繋がり・施術を任せられるという信頼感が、お店を続けていく上で大切だという両親の教えを改めて思い出した。見切り発車で始めたテイクアウトには失敗に終わったが、理容師としての仕事を改めて考え直す契機となった。
 お客様の貴重な時間を、理容師の技術で直接伝え提供する。日々の仕事を一歩ずつ確実にしていく事が、将来の私の土台になると、確信できた。

 

Ⅲ 新たな挑戦 ~ジェンダーレス時代~

 新型コロナウイルスの感染拡大から3年が経ち、各業界も感染対策をしながら業務転換や新規事業を立ち上げ、この危機を乗り越えようと努力していた。自店も、コロナ禍において、目まぐるしく変化する世間の流行や環境に適応する為、探求心を持ち続けなければならないと考えていた。そんな中、一番に感じたのが女性の化粧意識の低下だ。「All About」の調査では、コロナ以前より化粧をしない日が増えたと回答した女性は42%にのぼる。マスク生活が長引いたためだ。その一方で、男性コスメ市場の成長ぶりは著しい。
 近年「ジェンダーレス男子」「美容男子」という言葉を見聞きするようになった。若年層の美意識の向上は、私達の想像を遥かに超えており、中でも「脱毛」は身だしなみの一つとして捉えられている。現在、エステ業界におけるメンズ脱毛市場は右肩上がりだ。
 自店は、光脱毛によるヒゲ脱毛の新規メニューの導入を決めた。決め手になったのは、既存の何人ものお客様に率直にヒゲ脱毛について意見を求めた結果、20代から40代の多くがヒゲに悩みを抱えていて、毎日の自身でのシェービングに少なからず煩わしさを感じていたからだ。
 しかし、脱毛機器を導入するにあたり大きな問題は購入資金であった。タイミングよく当県ではコロナ禍において新規事業を始めるための補助金制度がありこれを利用した。この申請をするための事業計画書の作成時に、改めて自店の強みや弱み、将来を見据えた計画や目標を再認識する事ができた。同時に機器の講習やセミナーにも参加して知識を深め、スタートさせた。
 店外に向けてヒゲ脱毛の看板を新調してPRしたが、それ以上に自店の強みでもある「人との繋がり」が一番の宣伝になった。お顔剃りを利用した女性のお客様が、旦那様や息子さんなどの家族や知人を勧めてくれ、予想以上に脱毛のお客様が増えた。脱毛を行う専門店と違い、顔剃りを行う理容師だからこそヒゲのデザインや、お肌のトラブルに対して迅速に対応出来ることも強みだった。また、20代の男性を中心に美に対する関心が高まっており、顔の印象が決まる眉のデザイン・美顔・ヒゲの処理は理容師の得意分野だという事をSNSで発信していった。実際に、幅広い年齢層のお客様がヒゲ剃りによる肌荒れ、ヒゲ剃りに費やす時間を少なくしたいなど悩みを抱えている。今回導入した脱毛器と、理容師の顔剃りをミックスさせることで、ニーズに合わせたメニューと癒しの時間が提供できている。現在はヒゲのみでなくフラットになる理容椅子の利点を活用し、手足の脱毛ニーズにも対応している。
 最近は、社会や文化よって形成された男性像にとらわれず、男性を起用したコスメの広告をよく見かけるようになった。ファッションも中性的な着こなしや、爪・ヘアスタイル・肌と全てが自身をアピールする術となっている。本来、性別問わずお客様の身だしなみを整えることが私達の使命である。男性でも美肌になりたいというニーズがあれば積極的に私達の持つ技術を提供すべきである。今までのような、男性における調髪の為だけの理容室から、身だしなみをトータルで整えるお店が理容室だという事を発信していけば業界全体も活性化するだろう。

 

~おわりに~理容師であり続けること

 常に新たなチャレンジを試行錯誤しながらやってきたが、失敗しても今まで大切にしてきた「人との繋がり」を忘れない事が成功へ導いてくれている。チャレンジを続けるにあたり、ディーラーやメーカーの方々が何度も親身に相談に乗っていただき何より一番近くで叱咤激励しながら両親が見守ってくれたことに感謝している。
 昨今、理容組合員が減少している。厚生労働省による「働き方改革」が社会的には浸透してきているとはいえ、理容業界ではまだ柔軟な働き方ができる環境には程遠い。働きやすい労働環境を整え、その中にやりがいを見出していくことが大切ではないか。
 カフェやバーを併設した理美容店など、業務形態を変え今までにない新しい発想の店舗が出てきた。いかに魅力ある職業であるかを発信する事が、後継者不足で深刻な業界の突破口になると考える。組合におかれては県・市等の行政と私達組合員の橋渡しとなって困難な時には心強い存在であってほしい。
 私は理容師として、様々な分野で必要とされるように社会と関わりを持ちながら、あってあたりまえ・なくてはならない理容業界に足跡を残せるような経営者となるよう一層努力していきたい。また、父から受け継いだお店を守りながら、一方で顔剃りの技術は特化しているので子育てや介護で離職した女性理容師の雇用を積極的に取り入れ男女問わずお顔剃り、エステにこだわったサロンを展開していきたい。

 

図1

 

図2

 

 

 

 

※図2:リクルート美容センサス2021上期調べ

 

図3

 


 

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