理容の歴史
    記録によれば、理容はエジプトから始まり、ギリシア時代にヨーロッパで理容業がスタートしました。当時の理容師は外科医を兼ねていましたが、各国における理容師の歴史を調べてみても、ローマのように外科医と理容師は同一の職業でした。

年代

ヘアースタイル

理容業
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清朝が辮髪強制を行う。

江戸時代には月代を剃る習慣が広まり、髪型の種類も多様になったため、髪結いの必要性はますます増していった。

前髪の禁止令が出る。

王侯、貴族が複雑な結髪や染毛、ひげの手入れなどに強い関心を寄せたため、王の理容師、貴族の理容師、庶民の理容師と厳密に分けられるようになった。

各国における理容師の歴史を調べてみると、外科医と理容師は皆同一の職業であったようである。
イタリアにおいても14世紀頃、外科医と理容師は同一に見なされていた。

腕を切開して噴出させた血液を、理容外科医が、金属製の皿で受けている。
後にフランスの理容店の看板の基になったとされている。

髪結が町の番役(町内の夜回り)を担うことになり、かわりに番所での髪結床の営業が認可される。

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イギリスのチャールズ2世もフルボトムド・ウイッグ(総かつら)を着用していた。
最初は黒いかつらが流行したが、流行が一般に及ぶと上流階級が差別化意味で茶や金髪などを利用したといわれる。

アベ・ウイッグ(神父カツラ)
頭頂が剃られている。

ノッテッド・ウイッグ(結びカツラ)
真ん中は螺旋状の巻毛にされている。

ボブ・ウイッグ(断髪カツラ)

中期にあらわれた辰松風は髷が上から下へ頭を刺すような形だった。
この辰松風の髷が文金風、本多風へと受け継がれていった。

辰松風

文金風

本多風

外科医と理容師がはっきり区別されたのはルイ14世の時代であり、はじめて外科と内科は対等に見られるようになる。

西欧の理容店では客へのふるまいにも厳しく、「規制」を人目のつくところに掲示していた。
1) 剃刀をいじったりしないこと。
2) 『喉をかききる』などと口にしないこと。
3) 髪粉を小麦粉と呼んだり、店の棚の上に手を出したりしないこと。

この規則を守らないと罰金を払わされた。

髪結いは、奉行所附近が火事になった際、防火活動をしたり、書類の持ち出しを手伝う駆付人足役を命じられる。

イギリスのジョージ2世が理容と外科を分離させる方法をだし、完全分離となる。

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フランス革命の後、かつらの流行が去ると、代わって短い髪が流行した。また、ひげは頬髭からはじまり、次第に生やす部分が増えていった。

公卿のお歯黒、剃り眉制度緩和。


残髪令布告。


天皇断髪。

「男性のひげの歴史に関する研究」(ドルギー/オーギュスチン・ファンジェ)出版。

ひげや体毛の手入れ、寄せられる意味、イメージ、エピソードなどを歴史的かつ世界的に記す。

「浮世床」(式亭三馬)出版。
当時の髪結床の情景が描かれる。

「理容店」(イギリス/リチャード・ブロクター)出版。
著者が理容業を通じて知り合った人物や著名な理容師について記す。

第1回内国勧業博覧会で理容道具賞碑を受ける。

1880年頃のバーバーショップ

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チャン刈りが流行し、前の長め、後の短めが極端となる。

チャン刈り

美顔術、毛染め始まる。

あごひげは流行遅れで口ひげだけ残す傾向になる。

カイゼル髭流行。

科学薬液と熱によるコールド・パーマネント・ウェーブがイギリスとアメリカでほぼ同時に発明される。
パーマネントウェーブの大流行。

戦時下のため、パーマネント禁止。

アイパーが考案され、男性ヘアファッション化のきっかけとなる。

銀座を中心としてリーゼント型の流行始まる。
GIカット流行する。

ケネディスタイルが好まれ始める。
その後60年代中半、ハイティーンの間でアイビースタイルが流行する。

ロン毛・茶髪ブーム

第1回世界理容技術選手権大会開く。
(フランス・パリ)


第1回全国理容競技選手権大会開く。
(東京・共立講堂)

日本でアジア初の世界理容美容技術選手権大会開く。
日本代表チーム優勝。(幕張メッセ)

世界大会
理容部門優勝トロフィー(1992)