【人物篇】

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 昭和天皇〜日本開闢以来の出来事とエピソード

=その1・天皇の理髪師誕生=

イラスト 明治天皇の断髪は、理髪師、河名浪吉の手で行われた。ただ、理髪師による天皇の理髪はこの時の一度で、その後は侍従の役目となってつづけられた。
 大正の頃、大きな出来事があった。昭和天皇が皇太子のときヨーロッパに御外遊されたことである。日本開闢以来はじめてだった。
 「皇太子裕仁親王の渡欧が決定」の発表は大正十年二月八日だった。
 「――三月三日、横浜港より軍艦『香取』で出発され、約半年の予定である」と、新聞はよろこびを表明した。
 三月三日のロンドンタイムス紙の社説は書いている。
 「――三月三日は日本の歴史上、最も記念すべき日の一つとなるであろう。
 裕仁殿下は、きょう横浜からわが国訪問の旅に出られる。日本の皇太子が国外へ出られるのはこれが初めてである。
 これは、世界最古の皇室の歴史の中で、明治維新にも匹敵する大きな出来事である」(後略)
 「殿下のご外遊にことは、単なる思いつきでもなし、急に計画されたことでもなかった。宮中では、ずっと以前から考えられていたのである。
 その理由は、これからの日本が世界の日本である以上は、その元首たるべきお方は、外国の文物を見学されて知見を広められ、また、外国の元首や高官たちと会見しておかれることがぜひ必要である。
 しかし、天皇のみ位につかれてからのご外遊ということは殆ど不可能であるから、皇太子の時代にいらしていただきたい−というのであった。
 しかも、おん父君の大正天皇も、それをお望みになっておられたのである。実は、大正天皇も東宮殿下時代に外遊したいとの希望を持っておられたが、内外の事情によって実現せずに終わられたのである。(中略)
 三月三日午前九時半、殿下の召された特別列車は東京駅を発車、何事もなく横浜にお着きになって、お召艦『香取』にご乗艦、供奉艦『鹿島』を従えて、滑るように出港していった。お供した者はお補導役に閑院宮載仁親王、供奉員として珍田捨巳、三浦謹之助、奈良武次、入江為守、土屋正直、西園寺八郎、山本信次郎、戸田氏秀、亀井慈常、高田寿、沢田節蔵、及川古志郎、浜田豊城、二荒芳徳の人々であった」(背席の天皇・甘露寺受長著)
 随行員三十四人の一人に大場秀吉がいた。殿下のお髪を刈るための随行である。
 去る二月、こんな記事が出た。
 「――東宮殿下に随行の御調髪師、大場秀吉氏の栄誉。――外賓客の御用を承りしことも度々。
 東宮殿下、平常の御調髪は東宮侍住職に於いて御執行相成る御慣例となりおれるが、今回の東宮御渡欧については、各国元首をはじめ貴族を御訪問あらせらるる事とて、従って公文の御儀式に御参列も度々のこととて、御調髪も各国の流儀を御必要とせらるるよう、先般来、宮内省に於いて、技術者人選中のところ、いよいよ、芝区桜田本郷町十四番地、高等理髪、兼大日本美髪会理事、大場秀吉(四十六歳)に御下命ありたり」(東京読売新聞)
 昭和天皇のとき、大場秀吉が天皇の理髪師になった。
 天皇の理髪師の誕生である。大きな出来事だった。

参考資料:「背席の天皇」(甘露寺受長)、東京読売新聞

=その2・陛下の髪型とつむじ談義=

 昭和19年1月に、海津昇というひとは「辞令」をもらった。第五代目の天皇の理髪師である。
 「天皇陛下の頭髪のことに関し嘱託す。月給金九十五円を支給す。」
 昭和19年は、B29の空襲に備えて防空法が施行された年だった。
 辞令と共に宮内省職員となった。昭和23年3月に「内延職員」という舎人の所属となっている。
 陛下のご整髪は二週間に一度、ただし外国の元首にお会いになる時は、その前日に必ずご整髪がある。髪型について、陛下はなにもおっしゃらないが、『イメージを変えない』という天皇家の人々の鉄則がある。だから、『白髪を目立たせないよう』『写真うつりをよくするよう』というのが、海津昇というひとの人知れない苦心だった。
 苦心話に『つむじ談義』というのもある。
 「つむじは一つの人が一番多く、大抵の場合頭の中央にある。二つの人も、一つは額の上にある場合が多い。三つの場合は、前額と後頭部といろいろになっていて多くても『つむじ』は四つである。
 理髪師が、もっとも苦労するのは"鳥居つむじ"といって、頭の頂上に、二つ対極的にあるつむじで、これは髪が分けにくく、分けてもすぐに崩れてしまう。ですから完全なオール・バックというものは、よほど頭髪に気をくばって日常丁寧に手入れをなさっている方でないとできません。外国でも、だからオール・バックは案外少ないものです。頭髪は、つむじの個所から分けるのが普通です。
 従って、分けようによっては所謂、つむじ曲がりの方が七三なり、四分六なり奇麗に分けられることであります。
 陛下の『つむじ』は、頭の真中に一つあるほか、前頭部に、一つあったような形跡があるので、げんみつに云ったら二つということになる」
 また、新聞記者の取材した『陛下の素顔』というのがある。
 =陛下が必ず「ありがとう」といって立ち去られるのがほんとうに印象深いという。ところがある日、調髪が済んでもウトウトしておられるので、海津さんが声をかけたら「ア、そう」とそのまま部屋を出ていってしまわれた。
 さあ、終わった、と海津さんが後始末しはじめたところへ、また陛下がひょっこりあともどり、けげんな顔つきの海津さんにあらためて「どうもご苦労だった」と頭をさげて出ていかれた。
 ――わたくしは仕事なんですし、そんなに気を使っていただかなくてもいいのですが……律義な方なんですねぇ。

参考資料:「天皇の食卓」(入江三郎)、「陛下の素顔」(サンケイ新聞)