平成21年度業界振興論文・優秀賞

理容店生き残りを目指して~大型激安店を反面教師に~

高橋 正興(北海道組合)

 

はじめに

 平成二十一年五月二〇日、内閣府は「GDP(国内総生産)はマイナス15・2パーセントとなり、すさまじいほどの落ち込みは、戦後最大となった」と発表した。こんな異例の政府発表は、いまだかってなかったことである。
 文字通り、いま目本経済は不況の真っ只中にある。私たち理容業者も例外ではない。いや、むしろ我が業界こそ不況のドン底に喘いでいるというのが現状であろう。
 なぜ理容業、とりわけ我々適正料金を表示する店の経営が急速に苦しさを増してきたのか。「不況のあおりでお客の来店頻度が減少した」「若年層が美容に流れて行った」「簡便な電気バリカンの普及と、節約のため家庭で髪を切る人が増えた」など、さまざまな要因があげられよう。
 しかし私は、我々の経営を圧迫している最大の原因は、理容組合に加入しないいわゆる「員外者店」同士の低料金を主体とした過当競争の激化にあるーと捉えている。
 この低料金問題は過去にも幾度か起きており、とくに目新しい現象ではない。ただ問題 なのはかっての世相と異なり、大型激安店の増加と、限度の超えた低料金の設定にあってそのしわ寄せが我々適正料全店の顧客減を招き、経営を悪化させているはずである。
 現在の社会情勢からすると、我々がどんなに彼らのやり方の是非を批判し、容認できる線に戻そうとしても、現行法上、残念ながらその道を見出すことはできない。とするならば、今後我々はどう対処し、経営を安定させることができるかについて、「考えは人に話してみて、初めて花が咲き、実が結ばれる」との、私の好きな格言に従い、言葉足らずを承知で提言を試みたい。

理容業の低料金問題

   理容業の低料金問題は決していま始まったものではない。いやむしろ理容業の歴史そのものと言っても過言ではあるまい。
 事実、昭和の中ころ「全国理容連盟(現・全理連)」の最高幹部がこの問題で自らの命を絶つという痛ましい史実がある。その歴史を若干ひもどいてみよう。
 『理容師法施行50年史』(平成10年3月1日・全理連発行)によれば、昭和21年~昭和30年の項のタイトルに、「大阪に端を発した低料金旋風・井手大阪府連理事長が死を持って抗議」とゴシック見出しで始まる記事がある。要点を抜粋すると、「昭和27年1月、大阪淀川地区に80円の低料全店が出現した。当時、一般の理容料金は150円~200円であった。しかもこれが導火線となって80円の看板を出す店が増え続け、周辺業者はいやおうなくダンピング騒動に巻き込まれていった。
 そうした中で、同じく大阪の十三、三国地区の低料全店は、組合員の意を尽くしての話し合いにも全く応じる気配を見せなかった、我慢の極に連した組合員は、やむなく7月8日9日の両日「低料金即時中止」を要求するデモ交渉を敢行した。
 これに対し、低料金業者は「威力営業妨害及び傷害及び器物棄損」だとして組合を告訴し、その容疑者として井手藤一氏(大阪府連理事長・全国理容連盟副理事長)をはじめ、六名の組合員が検事勾留を受ける。
 低料金旋風は燎原の火のように瞬く間に全国各地に広がって行った、全国理容連盟では全国各地からの情報を収集しながら、激しい陳情活動(後記)を展開していたが、その最中の9月23日早朝、井手氏は大阪市大淀区の自宅で「自らの墓穴を掘るなかれ」の辞を残し、自ら命を絶った、
 全国理容連盟はこの大きな犠牲を契機に、公正取引委員会に対し「低料金営業者の不正常行為」を熱心に訴え、さらに厚生省、労働省、国会議員などへの陳情も激化させていった。結果、公正取引委員会は業界の訴えを採り上げ……」と続いている。
 今も昔も程度の差こそあれ、料金問題はどこの組合・支部でも避けては通れない重要課題の一つであろう。

理容料金を考える

 さて、仮にいま理容組合が料金のレベルを適正なものに統一しょうとしても、独占禁止法等の厚い壁があって組合員はもとより、広く同業者にその協力を求めるのは不可能である。もともと理容業経営の本筋は「技術・接客」が主であって、「料金」は従のはずなのに、これがいつの間にか逆転し、員外業者の低料金をうたう看板だけが、巷に目立つようになった。
 しかし一口に員外者店と言っても、家族経営の小規模店が多い。だがここでは我々にとって影響が大きいと思われる大型激安店に的をしぼり、その事例と対策を考えてみたい。まず考えなければならないのは、「料金」で大型激安店に対抗するのではなく「技術と接客」の差を強調する事こそが最も重要だと認識すべきだろう。そもそも彼らと我々とでは経営理念がまるっきり違うと思えるからだ。
 大型激安店は「薄利多売」の大量生産型であり、我々は「少数堅実」な家内工業型である。
 こうした同業異業態の中では小規模店ほど料金単価の競争は避けなければなるまい。それは理容業はガソリンなどの単一商品と違う上に、セルフ化する余地もなくどこまでも人と人の触れ合いの中で、施術とマナーが相伴ってはじめて成り立つ職業だからである。
 ところで理容料金問題でかねがね思うことがある。それは理容学校の授業の中で「理容料金にかかわる事柄を現在いかほど教示されておられるか…」ということである。まことに差し出ましいが、理容学校では技術の教育とともに、経営の根幹をなす料金についても、教科の中で一層力を注いでいただき、料金問題は決して軽視すべきでないことを、学生にご教示願いたいと考えるのである。
   むろん理容学校は技術の習得養成が主であって、経営者養成のためではないのかも知れない。しかし、学生のうちから料金問題を大きく論じるのであれば、将来理容業に携わるものに少なからぬ好影響を与えると確信したい。「鉄は熱いうちに打て」である。
   ときに、「人間は感情の動物」とも言われる。我々はその感情の動物つまりお客様に技術と接客をほどこし、その対価として料金を頂戴するのであるが、このことは直接お客様に接する従事者のちょっとした気配りや工夫で、お客様の心を和ませ満足感を与えられれば、その金額は「適正料金」としてお客様から評価いただけるはずである。
 この適正料金というのは非常に重要な意味を含んでいる。すなわち、それに値しない技術・接客の店はお客にすれば、結果的には“割高な店”となり、やがて見放されて行く。
 そうした観点からもこのことは大型激安店対策としてはもちろん、理容店経営のあり方として肝に銘じて置く必要があろう。
 この人対人の接遇対策については、時間やサービスを切り売りせざるを得ない激安店より、我々家内工業型の方がはるかに有利であることは論を待たない。例えばご高齢のお客様にはゆっくり世間話の相手になってあげる、昔の手柄話やお孫さんの自慢話を、時には愚痴の一つも聞いてあげるといったゆとりや、癒しを大切にしたい。
 不況の昨今、単純な経済的理由から「理容料金に限らず、商品すべからく、安いほどよい」と言われるお客も少なからずおられるのも事実である。だが一方で「料金は多少張っても、丁寧な接客によって日常の緊張から解放され息づく、価値あるもの」を求められる方々がおられることも否定できない。このことは組合員皆様方も、消費者の立場でお考えいただくと一層ご理解願えると思う。
 見てくれが大きい大型激安店を決して恐れる必要はない。技術・応対の質を高め、お客様に満足していただく。そしてそれに見合った料金を頂戴する。これが理容店経営の本筋ではなかろうか。

理容師の授業料

 ところで同業の皆様方におかれては、自分に対する「理容料金」を年間、いかほど支出されておられるだろうか?「自店でやれるのに、自分の調髪に料金を支払うなんて…」怪訝に思われる方もおられるかも知れぬが、もしそうであるならば、言業はきっく大変失礼ながら「井の中の蛙、大海を知らず」となりはしまいか。
 飲食店経営者が自己研鑽のため、評判の同業他店を食べ歩きし、よき点を学んで自席の経営に繋げているのをまま見聞きする。自慢めいて恐縮だが、私は勉強のため年間三万円ほど出費している。合間を見て大型激安店はもとより他市の評判のよい店、時には大都市のホテルなどに出店する高級理容店にも客の一人として入ってみる。当然、この費用は必要経費として手書きの出費書を残し、確定申告に載せている。
 もちろん、他店から学ばずして自身の創意工夫と、自己啓発によって繁盛中の店も少なからずお見受けする。一例に我々組合員で私の知人が経営する札幌市豊平区の「カットハウス・ロイヤル(加藤隆由氏)」では技術の細分化をはかり、例えば顔剃りでは時間をかけ「うたた寝コース」と名付けてそれに見合った技術・和らぎをほどこして、お客から好評を得ておられる。その評判は報道機関に取り上げられ、全道に流されたほどである。
 ロイヤルでは日頃から大型激安店との違いをはっきりさせ、お客の固定化に努めているが、彼の店には「低料金店、何するものぞ」の自信と気迫を感じられる。
   さて、私は大型激安店に行ってまず感じられるのは“電バリ”でのカットは論外として、カット技術は担当技術者の技量の差もあって、技術うんぬんは一概に言えないが、おしなべて自店とかなり違いがあると思われるのは、その手抜きとも思える「顔剃り・洗髪・接客」に要する時間の短かさである。安らぎ・癒やしの中核をなすこれらの施術の長短は、「反面教師」として十分注目に値いしよう。
 私は今、目くじらを立てて大型激安店のアラを暴きたてるつもりはないが、まず顔剃りではタオルで蒸す時間の短かいこと、まるでオマジナイ程度。剃るのもひと撫でアッという間。
 本来ならこの時こそ、お客が最もリラックスし、心憩わせていただく時間であろうに…さらにそれ以前の問題として、直刃カミソリを使わない、背もたれが固定されたままの理容椅子? の店さえあるのには、いささか驚いた。
   洗髪もまたしかり。すすぎも不十分でマッサージ効果もあまりなし。拭きとるタオルもふんわりよりも「しっかり固め」いや、それどころか中には洗髪設備のない大手資本の店があったのには、我が目を疑ったほどである。
   ところで内容は多少変わるが、大型激安店を利用してみて最も憂慮されるのは、衛生面の安全性に対してである。近年、食に対する安全について、一般消費者は過敏なまでこだわるようになってきた。日本産の食材、無農薬の野菜、有機肥料の果物等限りない。また今年の春の新型インフルエンザに対しては、過剰とも思える国をあげての予防対策が実施されたが、この安全・安心意識の高まりは、理容業にとってもよき追い風になるはずだ。
 幸いなことに全理連でも員外者対策の一環として、毎年「衛生順守運動」の期間を設け、組合員は消毒等の実際を点検確認し、店頭からその安全性を広く消費者に開示している。我々はさらに知っていただく努力が必要だ。
   次に接客に関してだが、大型激安店ではマニュアルどうりの親しみ暖かみも感じられないあいさつ言葉。あとはひたすら一連の行程をこなすのに懸命で、まさに「ハイ一丁あがり」的な応対の店が少なくない。
「調髪○分、○○円」なる表示の激安店では、タイム・イズ・マネーそのもので、働く従事者の顔さえも無表情・無機質化されているようで、これが利用してみた私のいつわりない気持ちである。むろん中には高級理容店に勝るとも劣らない優秀な従事者のおられることも、付言しておきたい。
 以上を通して、我々が大型激安店に押しつぶされないためには、彼らの店にはとうてい真似のできない「安心・満足・癒やし」いわゆる確かで丁寧な技術と心遣い、気配りの接客に主眼を置いて、経営に当ることが最も大切という結論である。
   「百聞は一見にしかず」なる言葉もある、皆様方も一度客の一人として大型激安店に足を運び「授業料」をお支払いになってはいかがかー。問題はその中から何をどう捉え、反面教師として生かされるか、である。

終わりに

 お金だけ得ようとすれば、損得勘定が先に立つ。「繁盛に近道なし」「地道に一歩ずつ」は、私の好きな言葉である。お店の繁栄、業界の発展もまたしかりだと思う。
 大型激安店同士の競争も激化しているようだ。もし彼らが「自分の店さえよければ」という経営方針ならば、そんな事業は決して長続きしないだろうし、その跳ね返りが自分に来ることは、過去の歴史が証明している。
 ここまで、我々の経営向上を目指して大型激安店を反面教師とすることを主体に記したが、さらに重要なのは組合員各自の店が「独創的」な調髪技術と接客方法を有することである。これが理容店経営の神髄といっても過言ではあるまい。
   では、その独創的なものとは何なのか。残念ながら分からない。千差万別、一定していないからである。また一定していないからこそ独創的といえるのではないか。店の全てが独創的である必要はない。一つでいい。二つならなおいい。おのおのの店が何らかの工夫を加え、さらに繁栄されることを念じ、拙論の終わりとしたい。

 

※参考文献
全理連「理容師法施行50年史」

 

審査講評
審査委員長 尾﨑  雄 (生活福祉ジャーナリスト)

  大型激安店に負けない秘訣は、お客が納得して払ってくれる適正料金に見合ったサービスの提供だ。それは、理容師自らが大型激安店の客となり、敵の長所と弱点を見抜くことによってわかる。大型激安店だけでなく他市の評判店や大都市のホテル内の理容店の客となり、繁盛の秘訣や経営の長所、短所を自分自身の目と身体で知ることである。その授業料は、年間数万円に過ぎない。わずかな投資で、大型店の得意技である「流れ作業の低価格」に負けぬ「価値あるサービス」を開発し、一味違った違いのある店作りを試みることこそ経営者の仕事。そのよりどころは、時間とサービスの切り売りではない「気配りの接客」である。すなわち衛生面での安心および癒しと満足をもたらす丁寧な技術と気配りだ。そこから「独創的」な店作りが生まれ、それは「千差万別」だと説く。

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