平成19年度業界振興論文・最優秀賞

理容新世紀「今、決断の時」

高瀬 博浩(京都府組合)

 

 ◆前書き

 現在、全理連は大森理事長のもとに《やる気、勇気、元気》を合い言葉に、活動的な集団へと歩んでいます。

 理容業界では、二一世紀に入り、美容資本や業界外資本の男性顧客をターゲットにした進出がはげしくなっています。さらに、他業種と同様に海外資本も流れ込み、最近ではイギリス資本のメンズサロンが化粧品会社とコラボレートして東京に出店しました。日本の男性は、これらの美容資本や業界外資本のサロンへも、足を向け始めています。

 今、組合員店は早急に顧客の支持を確保・増加させる施策の実行が求められており、来店促進の戦術はもちろん、いま一度、理容が支持を得るための基本、理容の「社会的必要性」と、それを支える「理容独自の文化」を再認識、再構築する必要があると考えます。

 ファション性や経済合理性を求める顧客層が増加していることを認識し、今まで築いて来た「理容独自の文化」を踏み固めながら、理容店を営む組合員の方々に提言提案し、理容業を振興させたいと思います。

 

 ◆社会的存在意義と決断の時期

 今でも理容店を床屋と呼ぶことがあります。歴史をたどると、武士社会で髪型をつくる場所に「床」を置いたということから、床屋という言葉が生まれました。また「理容」とは、「理」に「みがく、ただす」という意味があり、「容」すなわち「すがた、かたち、ようす」と組み合わさり、「姿、形をととのえる」「ようすをただす」という意味になりました。これは精神に関わる理知や理性といった言葉と、人間の外面・内面で対応しておりましょう。すなわち、理容は人の容姿を磨いたり、整えたりすることで、これを理容師は理容技術で実現しています。

 理容は、明治以降、整髪・調髪を基として、生え際や眉を整えヒゲを剃るシェービング、洗髪、マッサージと、時代に即して技術的に豊富化してきました。一方、美容は「美」を中心にすえ、「美しさ」や「優雅」を追求した歴史を持ち、理容と美容は技術的には重なり合いつつ、それぞれの道をたどりました。

 戦後において、一九六六年のビートルズ来日をきっかけに、ロングヘアがファッションとして社会にも認知され、男性のヘアスタイルも美的感覚表現の一部としてとらえられ、衣服で覆われていない身体部を美的に表現する文化的要素を担うようになりました。それ以降、男性ヘアスタイルの変化とともに、理容が多様化のきっかけをつかんだのは、ご承知の通りです。

 女性のヘアスタイルは、年齢別や職業別にスタイルがあるのではなく、ファッションの一部として幅を広げ変化し続けています。他方、現在の男性がヘアスタイルをどう考えているかというと、まだまだ職業や役職によって抑制があり、どんなスタイルでも良いと言う訳にはいかないのが現実です。そして、多かれ少なかれ、彼等はどこかで、定期的に必ず髪を切っているのです。

 ではどこで切っているのかとなると、それぞれの価値の置き方で、髪を切る場所が選択されているようです。ヘアスタイルのデザインを重視しているのか、伸びた髪を短くするのが重要なのか、整えるのが目的かで店が変わりますし、料金や時間を優先させるかどうかでも行く店は変わっています。

 「髪を切る」だけなら、目的を満たしてくれれば何処でも良い、ということにもなりますが、スタイル重視、時間重視、料金重視という価値等が加わると、選択される店が多様になるわけで、結果的に、従来の全国一律の理容店から、お客の価値観の違いで理容店が多様化してきた経緯を持ちました。

 しかし、様々な理容店が出来たとはいえ、日本で理容店といえば、「サインポールと白衣」の店ではないでしょうか。現在、この理容店は全国で約一四万軒、ここ約一〇年間の店舗数の変化を見ると、減少はしているものの、美容店ほど急激な変化はありません。ただし、理容組合加入の店舗数はその割合から見て減少しています。これは非組合員店の増加を意味し、組合加盟店が減少したのです。

 美容店は二〇〇六年で約二一・六万軒。新規出店数から廃業店数を引いた数字で前年より二五〇〇軒の増加ですから、人口減少で市場が縮小しはじめるなか、美容界は入れ替わり激しく、混沌とした状態で、男性客にも力を入れなければいけない状況であり、理容店以外で男性が髪を切る(整える)場所となりはじめたのです。

 現在、理容師の数は約二五万人、理容師希望者が年々減っています。これは理容業界において大きな問題で、なんとか理容を魅力のあるワーキング・フィールドとして啓蒙し、若い人材を育てなければいけません。

 日本の人口から見て男性は数千万人存在し、二カ月に一度以上の頻度で理容室に来店していただけるよう時代に即して経営すれば、見通しは暗くないのです。

 職業は社会から認められ、必要とされることによって存続します。要は「理容師・理容店」の社会的存在意義、あるいは、その仕事としての魅力の明確化が問われているのであり、時代と価値観の変化のもとで今後私たち組合員がどう進むべきかを自覚・明確化し、未来に向けて踏み出す時期が来ているのです。

 

 ◆現代社会で「理容」の持つ意味

 「理容店」は、現状では二〇歳代を境に、メンズヘア=理容店ととらえる意識は確実に変っています。顧客年齢が上がるほど、理容=「切る、剃る、洗う」の三点セットが理容店への認識として大きくなります。しかし、理容店の多様化により、この三点セットは「剃る」が無くなったり「洗う」が無くなったりしているのです。

 ということは、「髪を切る」という一点でとらえると、利用者からはカット=理容店という認識が無くなってもおかしくはありません。顧客にとれば、理容店でも美容店でもどちらでもよくなり、望む髪の長さや、ヘアスタイルを得られる店に行こう、ということになるのです。では「髪を切る」という一点を考えた時、「理容店」という業態でなくても良いのかどうか。髪を切るだけで、日本では理容店と呼べるのかどうかと言うことです。

 アメリカでは機能的=合理的という考えがあり、スーツを着ていてもスニーカーが機能的だから履く、という光景を見たことがあります。最近日本でも見かけるセルフ・ガソリンスタンドも古くからあります。理容においても、シェービングに関して、欧米では女性は顔を剃る文化はなく、男性もシェービングは家庭でシェーバーを使い、大半が自分で剃るのです。髪を切るのも、アメリカのTV通販で掃除機の口に取り付けるカット・ツールを見た事もあります。あちらでは家庭で髪をカットすることが多く、これらは、アメリカ文化の典型例なのです。

 加えて、血液からの病気感染の危険性から、シェービングがバーバーから消え、バーバーショップは激減し、店は髪を切るだけの「ヘアサロン」に転換していきました。

 日本でもこのようなアメリカを例にとり、日本の従来の理容スタイルもやがて無くなってしまうと発言される方々もあります。しかし、私はそうは思っていません。

 日本では長い間、髪はプロフェッショナルが扱うものでした。そしてヘアスタイルは日本の組織性の高い社会と連動し、規範性の高い容姿、一定のスガタ・カタチが求められてきました。理容師はそれに適応してきたし、これからもそれがにわかに崩壊することは無い、私はそう観察しているのです。

 容姿の習慣、感情や気分は、集団の「結束」と「分散」に関係し、社会でのせめぎ合いの中で展開しますから、揺れもし、変容もしましょうが、容姿の集団性は、どういうカタチかは別にして、維持されるのではないでしょうか。言い換えれば、不合理な(別視点からは合理的な)文化が脈々と流れているのです。

 この集団性が求めるヘアスタイルの顧客が理容店の最大顧客ではないか。お客様は組織内の個性(自由)を表現したいのではないか。そして、この情報(データ)を大量に抱えているのが理容店だ、それをどう分析し、規範を前提にしつつ、どう表現(デザイン)を加えるかが問題なのだ、私はそう見ています。

 そして、日本には古来より独自の文化があります。中でも「温泉文化」というのは、日本人はシャワーだけでは物足りず、湯船につかりたいという感覚です。現在でも、温泉地、スーパー銭湯、マッサージ・サロンは若者の間でも人気があり、そこで心身共にリフレッシュすることを日本人は楽しんでいます。

 それを受けて理容を考えると、カットはもちろん、シェービングやシャンプーも、温泉文化やマッサージ文化と連動した身体感覚の一分野ととらえて何もおかしくありません。ですから、「切る・剃る・洗う」日本の理容がそうたやすく縮小するとは考えられない。

 私たち理容師は、その仕事がもたらす身体的・精神的な効果に、戦略としてハッキリと気づかなければならないでしょう。

 

 ◆「理容」の社会的必要性

 日本の理容界では、従来組合型の店舗は減少しています。では理容スタイルは今後、どのようであれば支持を得続けることができるでしょうか。私は三つの点で重要性を感じています。

  第一「公衆保健衛生を維持していく為に必要である」

 現代は衛生的とはいえ、ケジラミなどが集団発生している事例も多々あります。また、今後さらに、血液やウイルスによる感染や病気から、身を守らなくてはならない時代になりつつあります。理容師は衛生法規や消毒学を学び、それを社会で実践している職業であり、公衆保健衛生を維持していくうえでも「理容店」は大きな役割をはたします。

  第二「理容はその時代の文化の象徴である」

 ヘアスタイルは時代と社会の文化的象徴であり、シェービングやマッサージにおいても、カットと同様に日本独自の文化として存在意義を持ちます。

 私たちは初対面で、表情や声のトーン、話し方、服装などが第一印象となりますが、ヘアスタイルはその中でも重要な位置をしめ、シェービングにおいても、ヒゲ剃り、肌のケアだけでなく、額の輪郭や眉の形で大きくその人の印象が変化し、マッサージでリフレッシュされた表情も外貌に影響を与えています。ヘアスタイルを含む「顔」は、その時代を文化的に象徴しているわけなのです。

 ですから、理容師においても「その人物の首から上のイクステリア(外貌)を制作している」意識、大きな流れとしての風俗や流行への認識とそれへの対応が必要なのです。

  第三「日本の理容は究極のコミュニケーションである」

 現代社会で理容は究極のコミュニケーションであり、人間として必要であると考えます。今やコンビニで一言も話さずに物が買える時代が来たなかで、理容師は、医者でないにもかかわらず、鋭利な刃物を持ち直接肌にふれ、人間同士一番近いところで技術と言葉で接客する究極のコミュニケーション業であり、このような職業は他にはありません。

 これらをもとに、私たちがめざす「理容」とは、公衆衛生という面だけでなく、ヘアスタイルやシェービング、マッサージが日本の文化であるという自覚をもち、究極のコミュニケーションで社会の中で大きな役目を果たしている、ということではないでしょうか。

 

◆社会から支持される為に

 今後の日本の理容を維持し、理容師を育て、さらに発展させるにはどうすればよいでしょうか。現代のように地域により生活の様式や程度が変わると、業態までもが多様化することになり、これまでのような全国一律の店づくりや料金体系では対応が難しい。

 場所が変われば、提供すべき技術もサービスも変化します。どの店でも一律的な顧客アプローチやアピールはきわめて難しく、その成果も薄い。全国同じメニューや技術が長期間ヒットする時代では既にありません。

 激戦化しているフードサービス業界を見ても、1:安い 2:うまい 3:早い、だけではすでに通用しません。4:サービス力 5:安全性 6:清潔さ 7:立地条件 などが繁栄店としての要素になっています。そしてこれらは、すべての要素が組み合わされることで、独自の強みを発揮し、お店を作り上げているのです。そして、繁栄店では、必ずと言ってよいほど、若い店員が生き生きと楽しそうに仕事をしています。彼ら彼女らにとって「やりがいのある仕事だ」と思えないと、あのようには振る舞えないはずです。

 このようなフードサービス業界と同様、理容店もまた、これらすべての要素をうまく組み合わせ、若者も生き生きと働ける独自の店を作り上げていくことが重要です。

 理容技術においても、顧客サイドから見て、何がどのようにうまいのかを店が示す必要があり、それだけでなく、技術者やサロンのイメージ、立地条件、料金体系、衛生面などを見直し、再構築し総合的に組み合わせ、独自のサロンを創りあげてゆくことです。

 社会から認められることが、ひいては若者からも支持される職業となります。ですから、私たちは理容繁栄店を増やしていかなければなりません。それは後継者、理容師をそだてる私たち現役理容師の使命でもあるのです。

 物質文化が終わりに近づいた今、心の時代と呼ばれている中で、理容業はもっとも存在価値を発揮できる仕事の一つである、ということを意識し誇りを持たなければいけないと思います。

 これからの理容は、組合の一員という社会的信用のもとで、「切る・剃る・洗う」という技術で「公衆保健衛生」と「文化」と「究極のコミュニケーション」の三つを担い、「心地よさの質」を高めていくことが仕事の本来の姿ではないかと考えます。

 理容師とお客様との関係ではあっても、人間同士の信頼関係です。それを元手にして、理容としての「心地よさの質」を高めて行くことを目標と定め、技術と感覚と設備、そして、総合的な理容師としての人間力を高めることで安定した繁栄を保つのが、必要なことではないでしょうか。

 

審査講評
医療・福祉ジャーナリスト 尾﨑 雄

 美容と理容の違いは何か? それは規範性の有無である。一定の社会性を重んじることによって野放しの個性を許す昨今の風潮にブレーキを利かせながら、その人らしさを表現することが理容の本質だ。わが国の理容師は「日本の組織性の高い社会に連動」し、「規範性の高い容姿」を整えるプロフェッショナルとして髪型に「一定のスガタ・カタチ」を提供してきたと――このように本論文は指摘する。何もかもが規範を逃れ、奔放に流れて浮遊する現代の日本社会において、理容の歴史的、社会的役割を規範性に求める視点は貴重である。また、モードと専門職集団の存在を結ぶ見えない糸を見出す一種の日本人論としても興味深い。

 ともすれば「会社社会」や「会社人間」は卑下、蔑称の意味を込めて語られてきた。しかし、未曾有の敗戦によって焦土と化した60数年前のわが国を見事に復興し、「大国」として立ち直らせたのは、規範性の強い日本人の社会意識であった。そのような責任ある日本人こそ「理容店の最大顧客」だと本論文は貴強調する。顧客が「組織内の個性(自由)を表現したい」と望むとすれば、その思いを受け止め「それをどう分析し、規範を前提にしつつ、どう表現(デザイン)を加えるかが問題なのだ」と。技術、感覚、設備が三位一体となった理容師の人間力がそれを可能にし、店に繁栄をもたらすという「理容」の社会文化的な本質を格調高く的確に論じた点を評価したい。

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